ねむけにたえる

連続的でシンクロニシティな日常。

たりないたりないものたんない!

自分にとって正しくありたいと思う時、許せないことの方が増えていくようで首が絞まる。

年々怒りの沸点は正しく低下してる(怒るべきところで怒ることができている)と思ってるんだけど、怒りに達さずともムッとするポイントがたくさんあって生きづらいなあと思う。

劇や映画の演出上の発言にいちいち苦しくなってもやもやした気持ちが最後まで続いたり、ガールズバーで働いてる友達がインカムでボーイに おい爆乳って呼ばれたりする〜とへらへら言ってるのを聞いてとても悲しくなったり、意地の悪い先輩が上司から注意を受けてあからさまにしょんぼりしてるのを、大丈夫ですかなんて声をかけてしまい泣かれては一緒に泣いてしまって私はこの人のことが嫌いなのにこの涙はなんなのだろうかと偽善者な自分が気持ち悪くなり余計泣いたり。 

最近のツイートしんどいとかきついとかばっかりになってて他人事のように心配になっちゃった。大丈夫か!なにがそんなに心配で苦しいのでしょうか。まなっちゃんが心の中にまるちゃんを飼うと言ってたの実践してみたいな。へへ、言われちまったよ、って。正しく下がった沸点は省みるために使って本当に怒らなきゃいけないタイミング以外はすり減りすぎないようにのらりくらりかわしていきたいぜ。

クリスマス兼誕生日プレゼントでカメラを買ってもらったので好きなものや人たくさんおさめていきたいな。

写真は普通にiPhoneでとったくるまれ猫

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タイトルはチームしゃちほこ抱きしめてアンセムからです

11.6

結婚式で読む「ママへ」の手紙を書いている。正確にはiPhoneのメモ帳にどんなこと書こうかと書き起こしている。自分が書く思いついたことをそのままどんどこ書いていく手紙が好きなので(友人もそれがいいと言ってくれるし)手紙を書くにあたり下書きをする、それを人前で読むということに違和感を覚えるけどまあそういうものなのでやる。

思えば母親像、父親像のようなものへの憧れがずっとあったように思う。母の母らしくなさ、父の父らしくなさに毎度幻滅しては嫌悪感を抱いてきた。頑張ってきてくれたことも、それを支える人が必要だったこともわかるし、自身の結婚に際しやっとこの家から抜け出せると思った母がホッと出来るような家庭を築けなかったのも事実である。うちはそうはなれないという諦めの気持ちが常にあって、その分膨れた憧れは私が大人になるにつれて男とは女とはパートナーとは結婚とは母とはみたいな疑問とぶつかることが多くなった。よくいえば放任主義、悪くいえばネグレクトな家庭で兄弟仲は良かったけど兄弟間の順位づけみたいなのも感じながら育った。一つの家庭で、社会でさまざまな記号にあてはめられてあてはめて、期待して期待されて。しんどい!そうなりたくない!一人の人間としてみられたい、みたい!では私はその時母をそうみれていたか?みれなかった。今ならみれる?高校生以降幾度となく母と向き合いたいと思って話す機会はあったけど大体実家が汚すぎる話の延長で攻め口調になりヒステリーに負けてパニックにさせてしまいちゃんと話したいんだよと言ってもそこまで至れなかった。子供にとやかく言われるのを嫌う人だから私の言い草が母の母としてどうにか保っていた部分を崩してしまったんだと思う。

就職とか結婚とか出産とか、人生の転機において許せるタイミングが来るのかなと思ってたけど今はまだママも辛かったし私も辛かったよ、までしか現状来てない。

 

ーーー

ここまでぶつぶつ書いてついに前日の23時となり、結局ぶっつけでつらつら書いた手紙をそのまま読むことにした。母だけでなく弟や姉がぼろぼろ泣きながら聞いてたのが印象的だった。私はなんだかずっと笑っていて、アテンドさんに教わった新婦の腰に手をまわしマイクを一定の位置で持ち続けるということに集中している夫を時折みてはうへへと笑った。私の手紙を受けて母は、言うことを考えてたけど全部とんでしまった、いい母ではなかったと思うけど私なりのいい家族を築けたと思うと言っていてそれを聞いて弟たちが更に泣いていて私はまた笑った。多分一生呪いだろうな〜と思うけど家族で撮った写真の私がどの写真よりも可愛くて楽しそうでなんかそれだけで今はいいなと思いました。

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なんとかどうにか

家の前にある坂はとても急で、夜勤明けなんて登りきった頃には毛穴という毛穴から汗が噴き出ている。

教習所の時間を間違え、乗り込んだ送迎バスは既に坂下。降りますと声をかけたが届いてなかったのかそのまま100m以上進み、1km弱歩いて帰ることになった。

おりまーす、すみませんおりまーす!と声をかけお礼を言い炎天下の坂下に放り出させた私は(私が悪いんですよ)ひとまず目の前のセブンイレブンに避難する。夏あるあるだと思うんですけど食べたいものとか飲みたいものがわからなくなるじゃないですか。案の定その感覚で、飲みたくはないけど歩いて帰るならアイスコーヒーかアイスカフェラテが合うだろなと思いカフェラテを買い、運良く持ってた日傘をさして小山田壮平の802を聴きながら坂を登った。

車を買ってからどこに行くのも夫が乗っけてこうか?と聞いてくれるのでいいんですか〜と甘えてしまう。通勤の時間もかぶれば乗せてもらうので自転車に乗る機会もぐんと減った。たった1km弱なのにこの道を歩くのはいつぶりだろう。日傘をさせば日差しはやんわりとして風がふわっと吹いて意外と心地よく、壮平の優しい相槌を聴きながら、実はもう真夏のピークは去ってるのではないかと思った。もう?もう過ぎたの?

この半年はなんだったんだろうか。今日もなんとか!今日もどうにか!なんでなんとかどうにか生きてかなきゃならんのだ。もっと堂々としていたい。言い訳したくない。やり過ごしたくない。みんながみんなガチガチだ。いつまで続くんだろう。どこかに終わりがあるんだろうか。生活するってこんなに不安定なことなのかしら。車は中古で88万、治療済みの前歯をセラミックにするには1本7万なのに水菜は100円超えてたら買わない。ミラノ風ドリアでお腹いっぱい幸せなのにサラダつけたりする。

あれー、歩いて帰ったらちょっと気持ちが楽になったって言うブログ書きたかっただけなのに書くにつれてなんでなんでになってしまいせっかく持ち直しかけた気持ちを自らぐちゃぐちゃにしているのに気づきました うえーん 強制終了

 

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空青くて綺麗だな、の気持ちの時に戻りたい

体幹がなくなっちゃいました

ここ3回放送されたももクロchanの内容が超いい。「あの素晴らしいあーりんをもう一度」ももクロのアイドルあーりんこと我らが佐々木彩夏さん特集。かつてパーフェクトアイドルと呼ばれたあーりんは今もパーフェクトアイドルなのか!という企画。まず高めのツインテールがあんなに似合う人いる〜?近年ますますお綺麗になるあーりんですが、あーりんもあーちゃんももちろん佐々木彩夏さんとしてもどんどんアップデートしていく素晴らしさ。ギャルに憧れてるんです!と言いながらロックポーズをとったりヤンキー坐りしちゃうあーりん流ギャルにメロメロ。降参でーす。 

50音ウィスパーがあーりんはもちろんかなこしおりんれにちゃんも最高だからみて!メンバーのバランスがとてもいいんだよなあ。

好きな人の好きなところ、昔から変わらないところをみつけるとどんどん好きになっちゃうんだけど、あーりんに関してはどんなになっても当たり前に受け入れてしまうだろうな。そんなの判断するの私じゃないしね。

タイトルは以前のあーりんは背筋がピンっとしていて口角が上がってていつでも撮られる準備が出来てたのに今じゃ人に寄りかかったり座り込んだりで全然ちがう!と指摘された時のあーりんの反論です。体幹がなくなっちゃいましたの言い方が超かわいいので必見です。

キムチチャーハン

私の料理は冷凍きのこのジップロックをキッチンに叩きつけ崩し、今日溜まったストレスを発散することからはじまる。

なんでも合うよねきのこって。しかも安くて冷凍した方が旨味が増すっていうんだから天才。今日は鍋二郎テイクアウトに行こう!と、にんにくを入れるタッパーにサランラップをセットするとこまでしたのに夫が当直に呼ばれてしまって例にもよってきのこを叩きつける。ごはん(冷凍)エビ(冷凍)きのこ(冷凍)とキムチと卵でキムチチャーハンを作る。カルシファーのフライ返しで創味シャンタンをえぐり、盛り付けるようのお皿にてこれまたカルシファーで卵を溶いた。炒めながらこぼれたご飯粒が足に落ちそうになるが間一髪避ける。大事度低いのになぜか覚えてる言葉ってあるじゃないですか。小学生の時、机から落ちそうになった消しゴムを拾ったら隣の席の子に反射神経すげ〜って言われたのを今でも覚えていて、間一髪なことがあるとセルフ反射神経すげ〜を自分にやってしまいます。反射神経も運動神経も普段はめちゃくちゃ劣っています。50m走は10秒台で走ります。

それにしても創味シャンタン。はじめて買ってみたけどこりゃすごい。なんでも美味しくなるでしょこれ。疲れたら即使おう。わかりやすい味でわかりやすく食欲をそそり大変よろしい。料理どんどん楽したいな〜。

MVPカルちゃんf:id:lilyca:20200725191959j:image

6.30.

かつての馴染みの店をご機嫌で出た後、かつての最寄駅にて友達が盛大に吐いた駅のトイレだけ避けて使う。

自粛期間中、職場と家の往復で夫と猫としか関わりがなくても楽しく、十分人生が回ってるように思えたし言葉尻に敏感なので変に人と関わり悲しくなるくらいならこのままがいいなとも思っていた。現に自粛期間中出来ていた自炊、眉毛描くが出来なくなってきている。自分の中でせめてちゃんとやりたい、のラインがいとも簡単に崩れる。うちの店のビールはキンキンだからね、とお店のママが出してくれるビールは美味しい。買わなくなったペットボトルのお茶を平気で買って帰る。コンビニのコーヒーが飲みたいな。丁寧な暮らしはそんなに求めてないけど、生活を営む上で愛おしく思いたいものは留めておくのも難しい。

会う度に私にお姉さん!サウスポーですか!といい毎回デートに誘ってくるおじさんは、私のことなんか毎回覚えちゃいない。その飲み屋で一番嫌いな客だが、彼が自分をそういうことをいうキャラと自分で決めてしまったのはいつからなんだろう。しばらく見ないうちに背中がまあるくなったなと思う。

今の職場にいて分かったのは、悪口を言わない人の中で働くのはどんなに仕事が忙しくても精神的ストレスが100分の1くらいになるということ。看護師とはそういう悪口を言わなきゃやってけない特性の人ばかりがいるのだと諦めていたのを悔いるくらい、そんなこと言う人がいなかった。アセスメントと銘打って、この人はこうと決めつけるのを当たり前にやってる仕事おかしいなと思う。誰も人のことなんて決めつけていいはずないのに。本当に人がよかった。先生も含めて。これからまた陰口を聞いて職場内で浮気してる人たちと機嫌が態度にすぐ出る人たちとタイムプレッシャーと暴力に耐えながら働くと思うと気が滅入る。色紙とかあげるのももらうのもあんまりよく思わないたちだったのに、病棟全体にお手紙と一緒に指導者やってた人たち、指導してた子たちにお手紙を書いて、異動してたメンバー全員からも色紙を書いた。感謝の気持ちが溢れて書く色紙や選ぶプレゼントは今までのものと別物だな。全員にあてたら流石に重いかなと思ってたら病棟の皆から色紙をいただいてしまって感動。お花までいただいてしまった。こんなに嬉しいと思わなかった。2ヶ月しか居なかったのにこんなによくしてもらって良いのか。もうすでに戻りたい。

パズル完成に寄せて

地味に細かい作業が好きである。自粛期間中、夜勤の明けとかうつらうつらした昼下がりとか今集中できないだろ、な時間にちょびちょびと進めていたパズルが完成した。最後の方は気持ちが急ってしまってがんがん進めてしまいもったいなかった。紫キャベツや白波やらうにょうにょやらへんてこな名前をつけたピースが壮大でうっとり美しい絵になった。しばらく窓際に飾って思わず体育座りして眺めてしまったよ。

ずっと嫌な額縁があってなんで捨ててくれないんだろうと思ってたけど、もういいかと出来たパズルをその額縁に入れました。どうせ私も自分で作った額縁に入れたわけじゃないので。そういうもんだよなと思って入れました。パズルは1列分はみでちゃったんだけど、それはそれでいいよなと思って取り外して入れました。自分以外何一つとして自分のものじゃないのに気づくと欲が生まれていてハッとします。目の前にあるものだけが本当なのにね。わりと頻回にこんな私のことを好いてくれるのは夫くらいしかいない、、むしろ夫もそんなに私のことを好きじゃない、、、みたいな気持ちになるんですけど、他者評価への執着とそろそろさよならしたいな。気持ちがぶれてる時、お姉ちゃんにいつも生理前だからだよ!って言われてそれだけじゃないしと思ってたけど、例にもれずそれで落ち込みます ちーん

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