ねむけにたえる

連続的でシンクロニシティな日常。

6.30.

かつての馴染みの店をご機嫌で出た後、かつての最寄駅にて友達が盛大に吐いた駅のトイレだけ避けて使う。

自粛期間中、職場と家の往復で夫と猫としか関わりがなくても楽しく、十分人生が回ってるように思えたし言葉尻に敏感なので変に人と関わり悲しくなるくらいならこのままがいいなとも思っていた。現に自粛期間中出来ていた自炊、眉毛描くが出来なくなってきている。自分の中でせめてちゃんとやりたい、のラインがいとも簡単に崩れる。うちの店のビールはキンキンだからね、とお店のママが出してくれるビールは美味しい。買わなくなったペットボトルのお茶を平気で買って帰る。コンビニのコーヒーが飲みたいな。丁寧な暮らしはそんなに求めてないけど、生活を営む上で愛おしく思いたいものは留めておくのも難しい。

会う度に私にお姉さん!サウスポーですか!といい毎回デートに誘ってくるおじさんは、私のことなんか毎回覚えちゃいない。その飲み屋で一番嫌いな客だが、彼が自分をそういうことをいうキャラと自分で決めてしまったのはいつからなんだろう。しばらく見ないうちに背中がまあるくなったなと思う。

今の職場にいて分かったのは、悪口を言わない人の中で働くのはどんなに仕事が忙しくても精神的ストレスが100分の1くらいになるということ。看護師とはそういう悪口を言わなきゃやってけない特性の人ばかりがいるのだと諦めていたのを悔いるくらい、そんなこと言う人がいなかった。アセスメントと銘打って、この人はこうと決めつけるのを当たり前にやってる仕事おかしいなと思う。誰も人のことなんて決めつけていいはずないのに。本当に人がよかった。先生も含めて。これからまた陰口を聞いて職場内で浮気してる人たちと機嫌が態度にすぐ出る人たちとタイムプレッシャーと暴力に耐えながら働くと思うと気が滅入る。色紙とかあげるのももらうのもあんまりよく思わないたちだったのに、病棟全体にお手紙と一緒に指導者やってた人たち、指導してた子たちにお手紙を書いて、異動してたメンバー全員からも色紙を書いた。感謝の気持ちが溢れて書く色紙や選ぶプレゼントは今までのものと別物だな。全員にあてたら流石に重いかなと思ってたら病棟の皆から色紙をいただいてしまって感動。お花までいただいてしまった。こんなに嬉しいと思わなかった。2ヶ月しか居なかったのにこんなによくしてもらって良いのか。もうすでに戻りたい。