ねむけにたえる

連続的でシンクロニシティな日常。

11.6

結婚式で読む「ママへ」の手紙を書いている。正確にはiPhoneのメモ帳にどんなこと書こうかと書き起こしている。自分が書く思いついたことをそのままどんどこ書いていく手紙が好きなので(友人もそれがいいと言ってくれるし)手紙を書くにあたり下書きをする、それを人前で読むということに違和感を覚えるけどまあそういうものなのでやる。

思えば母親像、父親像のようなものへの憧れがずっとあったように思う。母の母らしくなさ、父の父らしくなさに毎度幻滅しては嫌悪感を抱いてきた。頑張ってきてくれたことも、それを支える人が必要だったこともわかるし、自身の結婚に際しやっとこの家から抜け出せると思った母がホッと出来るような家庭を築けなかったのも事実である。うちはそうはなれないという諦めの気持ちが常にあって、その分膨れた憧れは私が大人になるにつれて男とは女とはパートナーとは結婚とは母とはみたいな疑問とぶつかることが多くなった。よくいえば放任主義、悪くいえばネグレクトな家庭で兄弟仲は良かったけど兄弟間の順位づけみたいなのも感じながら育った。一つの家庭で、社会でさまざまな記号にあてはめられてあてはめて、期待して期待されて。しんどい!そうなりたくない!一人の人間としてみられたい、みたい!では私はその時母をそうみれていたか?みれなかった。今ならみれる?高校生以降幾度となく母と向き合いたいと思って話す機会はあったけど大体実家が汚すぎる話の延長で攻め口調になりヒステリーに負けてパニックにさせてしまいちゃんと話したいんだよと言ってもそこまで至れなかった。子供にとやかく言われるのを嫌う人だから私の言い草が母の母としてどうにか保っていた部分を崩してしまったんだと思う。

就職とか結婚とか出産とか、人生の転機において許せるタイミングが来るのかなと思ってたけど今はまだママも辛かったし私も辛かったよ、までしか現状来てない。

 

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ここまでぶつぶつ書いてついに前日の23時となり、結局ぶっつけでつらつら書いた手紙をそのまま読むことにした。母だけでなく弟や姉がぼろぼろ泣きながら聞いてたのが印象的だった。私はなんだかずっと笑っていて、アテンドさんに教わった新婦の腰に手をまわしマイクを一定の位置で持ち続けるということに集中している夫を時折みてはうへへと笑った。私の手紙を受けて母は、言うことを考えてたけど全部とんでしまった、いい母ではなかったと思うけど私なりのいい家族を築けたと思うと言っていてそれを聞いて弟たちが更に泣いていて私はまた笑った。多分一生呪いだろうな〜と思うけど家族で撮った写真の私がどの写真よりも可愛くて楽しそうでなんかそれだけで今はいいなと思いました。

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