ねむけにたえる

連続的でシンクロニシティな日常。

実像

漠然と実像のないものに怯えている。

最近iPhoneの調子が悪く(おそらく気がつくと娘にベロベロに舐められているから)充電ができなくなることが増えた。走り書きメモや連写された写真。カメラロールをひらけばそこにあるし、アプリをひらけばそこにあるんだけど、気がついたらサービス終了していた過去のブログサイトやSNSみたいに消える時は一瞬なのだろう。インターネットがある限り、残したいものや逆に残したくないデジタルタトゥー的なものは残るんだろうけど、例えば数百年先の未来で大きな戦争とか弾圧とか情報の制限とかが起こったら電子データで管理してるものなんてなんにも残らないんじゃないかと思ってしまう。こわい。紙も焼けたら残らないっちゃ残らないけど、すべてをデータで管理なんてしたらほんとそっくりそのままその時代空白になっちゃうんじゃないですか。やっぱりポーネグリフ。石しか勝たん。

調べるとすぐに出てくる便利な世の中だから、インターネットを脳内クラウドみたいに扱ってしまうことが多々あって、たとえばお花の名前、乗り換え案内、離乳食中期の目安などなど覚えられない。脳みそに定着していないことが多すぎてパッととりあげられたらすっかすかな人間が出来上がってしまうのではないか。私の実像すら危うい。

今一番消したくないのはやっぱり娘の写真。育児記録。ちょこちょこ母子手帳に書き写しているけど、先日の健診で文章の上から控えの紙を貼られて本当にショックだった。一言聞いてくれたり、挟んでおいてくれればいいのになんでこんなことするんだろう。こんなにいろいろ書けるの第一子の時くらいだろうし自己満足でいいからなるべく書いておきたい。写真もはやくプリントしなくては。膨大になってしまうけど、ストーリーズくらいの些細な日常ってたまに見返すとやっぱいい。ちょろりと書いた一文も含めて。日記にシールみたいにはれたらいいのにな。選択した写真を紙にかざすとそこにプリントされるみたいな機能があったらいいのに。

Twitterもどうなるんだろうね。なくなったら違うSNSはじめるのかな、インスタあるしそのままインスタだけ続けていくのかな。来年の3月でTwitterはじめて13年になる私です。こえ〜。

 

写真は覚える気もないし見返すことない容量を圧迫するだけの離乳食スクリーンショット

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