ねむけにたえる

連続的でシンクロニシティな日常。

実像はどこだ

 

すーぐ実家に帰ってきちゃうから昨日も今日も湯船に浸かれてて幸せだなあ〜

お疲れ様は疲れてるんだ!ってね!

 

 

やあ⌒°⌒

この前テレビみてたら今でしょ先生がキラキラネームについて名前という固有名詞の意味を果たしてない的なことを言っていて キラキラネームを地で行ってる身としては耳が痛かったですが、それとはまた別件で固有名詞のもつ意味とは となったのでツラツラと〜。

 

SNSに呟くんじゃなくても脳内を整理する時にTwitterみたいな文章でまとめることが多くて、そういう時に例えば外見とかを含めた状況を羅列してしまうんだけど、それって結局人をスペックで見ているのではないかしら。

◯◯さん、をしっかり落とし込むために行った分解が気がついたら◯◯さんじゃなくて分解した要素の集まりとして捉えている感じ。

 

伝わるかな〜。

 

私は言葉にすることで自己肯定感を高めてる節があるけど、言葉にするのは野暮だってこともいっぱいあるから難しいですね〜。ありのままの〜ってやつ。

 

そもそも人の名前における固有名詞の意義は他の固有名詞と一緒にはできないですよね。お花とかはひまわりだったら黄色で真ん中が茶色くてタネがわーってあって背が高くて夏に咲いてみたいな共通認識がとれるけど、私の友達のさつきちゃんって言っても はてなって感じでしょう?

個体としての認識は共通の知り合いであればとれるけど、人としての性格とかの認識は共通の知り合いでもズレが生じるわけだ。

いや、そもそも固有名詞はそこまで担うものではないのか?thisとかthatが伝わればいいだけなのか?

そしたら私の物事の捉え方にはほんと実像がないよなあ。情報が一緒に流れてきちゃう。

 

私の職場でのイメージって明るくて活発な子らしいんですが、ブログやTwitter見ていただければわかる通りまあこんな感じですし、先日会った高校の同級生に拗らせって言われましたし、共通のものを指してるはずなのに、まあ結局は色んな側面があるねってだけなんですけど、実像がぐにゃんぐにゃんすぎるよなあと。触って確かめなきゃ形もわかんないよ。

 

最近ずっとこういうことばっかり考えてます。もうこんな時間だよ、眠いよ、おやすみなさい〜。