ねむけにたえる

連続的でシンクロニシティな日常。

家族の輪はぐるぐるまわる

クリスマスデザインのガチャピンとムックのトイレットペーパーを、これはクリスマスが過ぎたら安くなるはずだわ!と夫と予想をしていた。28日に薬局に行ったら30%オフになっていて二人でガッツポーズをして2パック買った。そもそも安く売っていたのでその前に2パック買っていた。おかげでトイレがオイルショックのようです。

 

年末年始、想定外にトントン拍子で義理の両親や兄弟に会うことになり、家族って感じがするねと繰り返しいう夫に愛おしさを覚えつつ賑やかなお正月を過ごせたことを嬉しく思う。7連休なんて働き始めてからはじめてで、夫が夜勤ばかりなのも分かっていたしおばあちゃんちにも行かないつもりだったからずっとテレビ見たりして過ごすのかな、編み物でもまたやろうかなと思っていたのに全くそんな余裕なかったな。

夫と話していると頭の中の引き出しがかなり正確に開け閉めされてるのがわかって面白い。

単語やエピソードと紐付けられた引き出しがいくつもあって決まって同じ返答が来る。一緒にいる時間が増えていく中で絶対こう答えるなという予想がどんどん当たっていく。

一緒に働いていた時、彼は学生担当をしていたんだけどそれから数年後の今当時実習に来ていた学生さんがうちで働いていたりして名前を出すと あの背の高い眼鏡の子ね、とか実習メンバーの名前を出して佐藤齋藤佐伯の佐伯ね、など言ったりする。私も人の名前を覚えるの得意な方だと思うけど看護師なら人並みなくらいの能力であって、すぱーんと開く引き出しをみるとやはり気持ちいい。

とは言ってもなんでも覚えているわけではなく、興味のないことは本当に覚えていない。過去の話とか記憶から抜き取られたのか?と思うくらいすこーんと抜けていることがあるし、明らかに感情が無になっているのを感じるので怖い。それでも私がしょっちゅう襲われる「いつか来る終わり」の強迫観念はこの半年でかなり和らいだように思う。姪っ子やうちの兄弟を可愛がってる時の夫は付き合う前のこの人もしや私のこと好きだなと自惚れずにはいられなかった時の勢いを感じる。妊婦の姉の病院への送迎をしようとし、束縛されてる弟の身を案じてラーン二郎に誘う。私の大切な人のことを大切にしてくれているのが伝わってきて嬉しいな。ちょっとウザがられてないか心配だけど。私は夫の家の鎹になり夫は私の家の鎹になってくれてる気がする。家の呪縛から離れたいと思っていたし、結婚が家同士のものになることにかなり抵抗があったけど、私たちの家庭ができることでお互いの実家が新しい概念になった気がするな。うまくいえないけど。いい意味で他人だから関係も新しく構築できるのだ。

姉と弟とパパだけのLINEグループがあって、弟経由でパパが誕生日おめでとうって言ってたよと聞いた。最近の家族感に気持ちが高揚しパパに結婚したことや子供ができることを伝えてもいいのでは?と思ったけど、お金せびられたり会わせなきゃ行けなくなったら絶対嫌だから隠し通そう。お姉ちゃんと弟にだけパパの相手させてるのは申し訳ないなって気持ちもありここはもう少し折り合いつけたいな。罪悪感を覚える必要なんてどこにもないんだけどね。

最近は兄弟揃ってママのことを名前で呼ぶ。その方がしっくりくる。親と子と思うとどうしても許せなかった気持ちがあるけど本当に少女のような人なのでそう思うと落ち着いて接することができる。社会的役割があることは自分を鼓舞することや確立することにもつながると思うけどそれによって潰れてしまう人もたくさんいると思う。今までずっと人との繋がりが点と点だったけどこうやってつながっていくのは嬉しいな。繋がった線や円が呪縛にならないようお互いに締めつけ合わずにいたいな。

家から逃れたい気持ちと自分が家庭を築くことへの不安、どっちもあったけど今は未来が楽しみだ!大切にしたい。

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