ねむけにたえる

連続的でシンクロニシティな日常。

小松菜と厚揚げの炊いたん

父方は兵庫は明石で、父は酔っ払った時しか関西弁が出ない人だったからそんなに馴染みはないけど 明石のおばあちゃん(そう呼んでいた)はバリバリの播州弁を喋る人だった。

おじいちゃんが亡くなってから一時期一緒に住んでて、猫(地蔵と大仏)も連れてきて、あんまり良い思い出ないから記憶から飛んでるしおばあちゃんに対しても良いイメージがないから 思い出そうとすると苦しくなるだけだけど、炊いたんという表現だけが彼女から受け継いだものとして今でも残っている。

炊いたん。て可愛くないですか。青菜と厚揚げとか油揚げとか煮たのをよくやるんですけど、必ず炊いたんって呼ぶようにしています。根付いてるわけではなく意図的に。

 

「りりちゃん、食べー。こんなんしか出来んけどな。小松菜さん炊いたん。」

 

あれ、高校生の時だと思うけど、スペシャ観たくてパパんち行った時。いろいろあったな、そりゃいろいろあるか。

なんでこれ思い出したかっていうと、西加奈子ごはんぐるりを読んだからです。「ほうれんそうのおしたし」おひたしじゃないんだ!おしたし!おしたし!

活字のごはん、という章がいくつかに分かれてあるんだけど、たとえば「バタァ」とか「底に種が沈んでいる、甘いレモネードと、タフィー」とか美味しいものを補完するのに活字は絶大な効果を表すの。相乗効果なんてもんじゃないね。

学生の頃の一時期、呪われたようにお弁当を作っていて、一種お弁当ハイだったわけだけど、作ったおかずひとつひとつに自分の中で名前があった。甘辛からあげねぎだくとかブロッコリーとシーフードの卵白炒めとか小松菜と厚揚げの炊いたんとか。

当時からごはんを形容する言葉の美しさをわかってたんだな。えらい。

 

先日、越してきてはじめて廊下(と言えるほどの長さはない)の蛍光灯が切れて、私この家で生活してるんだった となり、生活しなおす気になりまして ちょこちょこごはんを作ったりとか豆苗育てたりとか読書をしたりして家で過ごすようにしています。こういうタイミングはいつ来るかわからないものですね。自分の生活を愛おしく思えますように。

写真は今朝のごはんです。f:id:lilyca:20180311191411j:image