ねむけにたえる

連続的でシンクロニシティな日常。

中央線

吉祥寺の地下のビレバンが世の中で一番イカしてる店だと思ってた中学生の頃、お年玉でデジタルハリネズミを買ったのもあそこだったし世の中の面白いものはなんでもあそこにあると思っていた

はじめて行った時掲げてあった中央線がそびえたつようなポップに「あヽ中央線よ空を飛んで あの娘の胸に突き刺され」という友部正人の一本道のフレーズが書いてあったのが衝撃で、今でも鮮明に思い出せるんだけどビレバンのポップってそうだったよなあって思い出した

今のビレバンにドキドキしなくなってしまったのは私がつまらなくなったのかビレバンがつまらなくなったのか あのポップ型の付箋みたいなの買おうとしてたもんな

壮平の出演するラジオGRAND MARQUEEを聴いていたらテーマが「中央線に乗って新宿から吉祥寺まで」で、そんなことを思い出しながら聴いていたらこの曲は阿佐ヶ谷が出てくるからと一本道を流していてたまげた

なんかあの時と同じくらいの感覚で私の胸にも中央線が突き刺さった気がした

 

今年のはじめからラジオを聴くのが習慣になって、娘も一緒に聴いていて、それきっかけに先日子育て広場で声をかけてくれた人が話せば話すほど同じ青春過ごしてた人で、先日はほぼ初対面でお家にまで行かせてもらって本棚をみたらうちの本棚かと思う漫画がずらずら並んでて、そんなの子育てしてからはじめてのことだったから今にも舞い上がりそうになった

看護師って音楽や演劇を趣味にしてる人が多いから働きはじめてからもそういう人が周りにいがちだったんだけど、子育てはじめてからは皆なにが娯楽なんだろうと思うほど話が合わなかった

別に私の話をしにいってるわけじゃないからそれでいいんだけど、だしその話があわなきゃ仲良くなれないわけでももちろんないんだけど、子持ちの友達と遊ぶと子どもと旦那の話しかしないみたいなツイートみてそれしか話すことがないんだよなと落ち込んだりした

子どもの話も夫の話も音楽の話もフラットに生活の話としてできるのってこんなにありがたいことなんだなと思った 夫婦の形もそれぞれで、私は遊びに行ったお家に友達のパートナーがいて一緒に話すみたいな空間は好きなんだけど、土日はパパがいるからNGみたいな家庭ももちろんあるし、距離感て本当ばらばらだよなと実感する 高頻度でセロリ脳内再生される

 

自分自身への関心が薄れているのも事実で、つわりが明けてからは毎日すごい速さで過ぎていってあっという間に妊娠7ヶ月になった 娘は新芽のように日々成長するし私はベイマックスのように日々肥えている

免許の更新があって初回だから2時間の講習を受けなくちゃだったんだけど、手持ち無沙汰で親指と人差し指の間を押したら激痛でびっくりした 後半1時間ずっと揉んでたけどずっと痛かった 自分の身体に触れることって大事なことだよなと思いながらできない 1人でお風呂に入れるタイミングがきてようやく足に指圧をかけることができる 娘と入る時はそれは泡がのっかっただけではくらいにしか洗えてないと思う

ここからマイナートラブルがどんどん増えてくるはずだから時々でも自分の体に目を向けなくては そんなことを思いながら今晩はお風呂にちょっと長く浸かり年内3回更新を目標にしていた日記の1回目を更新しています

写真は我が子のような白菜(200円)

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福白髪

具体的なことは全然覚えてないけど、誰かに書いたらいいんだよと言われて書きたかったんだなあと気づいてわんわん泣く夢をみた

何を書きたかったのか、起きたらもう忘れてしまったけど日記を長らくつけてないことを思い出した

8月9月はしんどさに追われていろんなことを蔑ろにしてしまった 外に出れないからこそできたことがあったのではなどと考えてしまう 簡単に時間は過ぎていくなと実感した

9月はこの10年で1番体重が減ったけど(一時、今はすくすく戻っています)顔の輪郭も身体の全体のバランスも今より太ってた時の方がよくて、肉付きの変化に年齢を感じる それなのに胸骨がごりっと出てるのをみて、「垂れ」を真正面から突きつけられるとショックなものだな

最近は自分の笑った顔も気になる 矯正をして歯を出して笑えるようになったけど今度は矯正してる人の歯だな〜と思うようになった 整形なんてしはじめたら私は私の顔が大嫌いになってしまいそうだから一生しない方がいいなと思った

 

書くのを中断しては、1人で外出している時にイヤホンを忘れたとか本も持ってこなかったとか、はたまた眠れない夜だったりとかつぎはぎの日記を書き続けている

先日産後初の岩盤浴に行って漫画を7巻一気に読んだ 最終巻だけ置いてなくて帰りの電車でKindleで買って読んだ ご飯を食べては娘に会いたくなったりして完全に頭を放れたわけではないけど、やれカフェだのお買い物だの他の1人時間とは全然別の贅沢さがあった 寝っ転がってるだけでジャバジャバ汗かいて床暖みたいなとこで漫画読んでまたジャバジャバ汗かいて最高か〜 

頭がある程度からっぽになったら、「私が学校で講義することがあったら3分小顔体操と頭がすっきりする首回しを最初のおさらいの中に取り入れたいな〜」とか超どうでもいいこと考えたりしてた こういう超どうでもいいこと考えたりすることが生活を豊かにすると思っているから1日1個でも超どうでもいいこと考えてどっかにメモしたかと思った

つらつら怒りを連投するよりそっちの方がよっぽど健康!

年内あと3回くらい日記かけたらいいな おしまいです

 

写真は先日発見した1歳半の娘に生えていた福白髪とここまで落ちたら除光液を使いたくなくて放置している私の汚すぎる爪

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わたしの見ている世界がすべて

今までもこれからもずーっと東京の西側で暮らしていくんだろうなあと思う

結婚する前までは30まで独身だったらいろんな地方で転々と働く生活がしたいなあと思っていた そんための資格職だと

ただ想像よりも早く結婚して、小学生の時書いてたプロフ帳の何歳までに結婚したい!?の質問に書いてた25歳よりも早く結婚して、やっぱり慣れ親しんだ東京の西側で暮らしたいなあと思って今に至る 地元も今住んでるところも当たり前に畑があるし緑は豊かだし田舎である自覚はもちろんあったけど、いざスクリーンの中で後継ぎ問題とかそんな家が嫌で出て行った娘の話とか見せられると世間一般のイメージは私が思ってるより更に田舎なのかもしれない!となった

そういえば高校生の頃、田端に住んでいた友達が地元の駅まで来てくれて、こんなに栄えてると思わなくてびっくりしたと言われたのを思い出した 私は東京の上の方はヤンキーっぽいという偏見があったので23区からみた都下はそんな感じなのかと思った 武蔵小金井の南口が馬小屋だった時代じゃなくて良かった

働きはじめて1人で生きてくには十分なお金があった時、自分の生活は自分で完結できている気持ちになっていたけど継続してお金が入って来ないことってこんなに不安なのかと今になって感じる 金銭感覚が戻るのにすごく時間がかかる 子育て広場で出会う幼い子どもを育てている以外年齢も仕事も趣味も生活背景何もかもが違う人たちと接する機会が増えて自分の視野の狭さに気付かされた 仕事で毎日接していた生活背景はバラバラだけど患者と看護師いうフィルターを通した人と幼い子を育てているという共通点があるだけの人、話す内容は全然違う どこまで踏み込んでいいかわからないし、友達ではないしそもそもジッとしていられない子をみながら話す会話は半分上の空である

わたしの見ている世界がすべて

パワハラを理由に退職に追い込まれた主人公(遥風)が自ら事業を立ち上げて見返そうと、金策のため実家で商売を営む兄弟を追い出して実家を売ろうとする 捲し立て勝手に話を進め、どんどんどんどん自分の中の正しさに向かって突き進む

彼女はかつての私のようでもあり胸が痛かった おかしくないですか?こうすればいいんじゃないですか?そんなん無理っていえばいいじゃないですか、もっとシンプルでしょ 役職もなく委員会などもしておらずそこそこ仕事がスムーズにできて記録と処置が早いだけだったのにずんずん話を進めようとする私 なんて視野が狭いんだ

実際には口に出さないことも沢山あったから衝突が多いタイプではないけどずーっとこう思っていた どうやったら自分の意見の方向にもっていけるかばかり考えていた 

育休も2年目に入り、一般的な社会人が家にいられる時間て本当に少ないなと実感する 7:30には家を出て19:00すぎに帰宅しご飯食べてお風呂入って娘とともに20:30に寝る夫 仕事の日はその1時間半しか接する時間がないのだなと書いていて驚く そう思うと自分が完全に自分のために動いている時間てどのくらいあるんだろう 仕事が好きで自分のやりたいようにやっていく遥風と親から引き継いだ経営ギリギリの家業をまわしている兄弟 状況は違えど自立して家族の問題からイチヌケしたつもりでいたが退職を迫られた遥風と育休中で立ち止まることができた私はまたカブる

もう無理嫌だと思ったら関わらなくていい、逃げていいと思っていたけどこの1週間で3回実家に行って掃除をしたり母にご飯を食べさせたりしている 娘を抱っこしてもらうのを言い訳に一緒に母と3人でハグする 働いている時より暇なわけじゃないけど空白の時間が出来て魔が差したといえばそうね

自分を守るための個人主義や仕事でのの関係とはまた違う 大切だなと思う存在が出来たことでようやくこうなったんだなと思う 

私ずっと怒ってるなって思ってた時期があって、それを「正しく怒りの沸点が下がっている」のだと捉えていたけどやはりどうにも苦しかった ヘラヘラと自分を無視してしまった時期を経てずっと怒ってるなの時期を経て、これは嫌だなこれは好きだな、こういう考えもあるんだな、色んな人がいるな、うん、やはりこの人とは合わないなのフェーズにいけるようにしたい 自分がしんどくないラインを見つける作業

 

いつも通り自分のことばかり書いてごちゃごちゃしておりますが、「わたしの見ている世界がすべて」面白かったです 主演の森田想さんの出演している「アイスと雨音」観たいと思いつつ観れてなかったので近々

写真は見事に真ん中だけくり抜かれたズッキーニ はらぺこあおむしみたい

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角煮

角煮を作りながら西加奈子ポッドキャストをきく。換気扇だけでは間に合わずキッチン横の窓を網戸にして煙を逃がす。猫たちが目が合うとにゃーと鳴いてくれる。

こういう身の回りのことがぶわーっと文章で湧いてくる時は主人公感がメキメキの時だ。私は今、私が主人公だ〜!の気持ちでいる。

友達に自分の時間がなくなったでしょう、と言われてそんなことないよ自分の人生だよと答えていて、それは本当にそう思ってるけどやはり意欲は停滞するもので。閾値が変わるというか。私は今こうしたい!と強く思うことは本当に少なくなっていたなあと感じている。

産後1年かかって出来るようになった、改善されたことがいくつかある。匂いへの過敏性が無くなったこと、猫との時間をちゃんと設けられるようになったこと、寝かしつけ後に期日に迫られていない作業ができるようになったこと。私はいつだって私だったけど、妊娠出産を期に変わったことはやっぱりたくさんある。娘が立つようになってからブログが書きたいなんて思えなくなってた。

なんだか今日は書けそうな気がするのでそのままつらつら書く。嬉しいね。最近はTwitterに何ツイートにも渡って深夜にずらずれ書いてしまうことがあり自分的には嫌だった。だったらもっとまとめてこっちに書きたかった。そういう自分がどう思ってるか感じてるかまとめる場がこっちなのでその作業すらしてないのは自分をないがしろにしてる気がするから。つらつらは良くてずらずらは嫌なんだな。

でもそれでも自分よりも明らかに娘が大切なんだよなあと思う。すごいことだ。なので私をないがしろにしないために意識して私は私を愛して許していく必要がある。

ポッドキャストを聞きながら半透明の西加奈子がいてほしいなとなる。#4「人に相談するのが苦手な人へのアドバイス」にて、自分の醜い気持ちを毎日鏡に向かって言う、すごくしんどくて身体に負荷がかかる作業だけどこれだけ負荷のかかる感情を持っているんだと思うと余計自分が愛おしく思える、と話していて出来ないかもだけどやってみたいなと思った。相談者に優しい人ですね、というトーンがこれまた優しくてもやもやした時に半透明の西加奈子を降ろして優しい人ですねって言ってもらいたい。

ちなみに半透明の土井善晴は私にもいます。今日は角煮に生姜を入れ忘れましたが、土井先生が上手にできたやん、そんでええのよ。と言ってくれています。

写真は落ちているボタンの横に作ることで安定した入り口を構えているアリの巣。

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12月

12月になるともう何年も行ってない、てか一回しか行ったことのない美容院や居酒屋からお誕生月クーポンが届いたりする

何回か行ったことある店や買ったことのあるブランドからも届くけど、これを毎年使えた試しがない 逆にPayPay20%バックとかがあるとそんなに必要じゃないものを買っちゃったりして余計な出費を増やす

 

娘の離乳食を作り始めてから名前のない美味しいものにたくさん出会う 素材の名前をつなげただけの呼び名が増える ほうれん草の葉部分以外やナスの皮、ぶつぶつを刈られたブロッコリーなどみてくれは悪いが思いつきでやった合わせ方がべらぼうにうまい 

今日のヒットはカリフラワーのぶつぶつを刈られたものとゆで卵黄身1/2白身9/10くらいのものを和えてたまごサラダにしたもの ちょっとのマヨネーズと黒胡椒ガリガリして美味しい塩もちょびっと カリフラワーってこんな食感だったかしらと思いながら食べる 

人生のテーマはシンクロニシティ 出会うべくして出会っていて意味のある偶然の一致の連続だと本当に思っている

なんとなく聞き始めたラジオのゲストに土井善晴先生が登場してなるほどなるほどとちょっと泣きそうになりながらあっという間に時間が過ぎた ちょうど昨日「料理と利他」を買ったところで、「一汁一菜でよいという提案」も読み直そうと思っていた

いいかげんや適当って本来ちょうど良い意味なのにざっぱになりがち 自分にとってのちょうど良いがそれぞれ違うからかもなあなんて思う 実際のそれと理想が乖離してるのも原因かね 食事がひどい時って多少なりともどうにでもなれというか傷つけてしまえという気持ちがある そうなる前になんでそう思ったか立ち返れるようになりたい そのリセットが一汁一菜、おみそしるなのかなと思った

むしゃくしゃした時に食べるLチキはそれはそれでうまいのですが

 

ラジオをききながら気持ちが昂り、検索してたら土井先生が料理監修をしている「土を喰らう十二ヶ月」という映画が上映されていることを知った 11月から上映してて終わっちゃってるところがほとんどだけどまだやってるところもある みたいけど間に合うかな、、夫の休みの都合がどうかしら、、週末は寒波がまたくるみたいだし、、と行かない方に気持ちが傾く中、上映情報をみると誕生月割というのがあるのをみつけた 

これは行かなくては、行けるでしょ、行くっきゃない!に瞬時に変わり、◯日◯◯で◯時から1人で映画みにいきたいんですけどとほぼ行くのが決定なLINEを即座に夫に送った 映画をみるのなんていつぶりだろう!とってもとっても楽しみ 

サイトのどあたまに書いてある文がとてもよかったので引用しておわります これをみる前にしたツイートが写真のなのでグッと我が人生を噛み締めます

「喰らうは生きる 食べるは愛する いっしょのご飯がいちばんうまい」

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実像

漠然と実像のないものに怯えている。

最近iPhoneの調子が悪く(おそらく気がつくと娘にベロベロに舐められているから)充電ができなくなることが増えた。走り書きメモや連写された写真。カメラロールをひらけばそこにあるし、アプリをひらけばそこにあるんだけど、気がついたらサービス終了していた過去のブログサイトやSNSみたいに消える時は一瞬なのだろう。インターネットがある限り、残したいものや逆に残したくないデジタルタトゥー的なものは残るんだろうけど、例えば数百年先の未来で大きな戦争とか弾圧とか情報の制限とかが起こったら電子データで管理してるものなんてなんにも残らないんじゃないかと思ってしまう。こわい。紙も焼けたら残らないっちゃ残らないけど、すべてをデータで管理なんてしたらほんとそっくりそのままその時代空白になっちゃうんじゃないですか。やっぱりポーネグリフ。石しか勝たん。

調べるとすぐに出てくる便利な世の中だから、インターネットを脳内クラウドみたいに扱ってしまうことが多々あって、たとえばお花の名前、乗り換え案内、離乳食中期の目安などなど覚えられない。脳みそに定着していないことが多すぎてパッととりあげられたらすっかすかな人間が出来上がってしまうのではないか。私の実像すら危うい。

今一番消したくないのはやっぱり娘の写真。育児記録。ちょこちょこ母子手帳に書き写しているけど、先日の健診で文章の上から控えの紙を貼られて本当にショックだった。一言聞いてくれたり、挟んでおいてくれればいいのになんでこんなことするんだろう。こんなにいろいろ書けるの第一子の時くらいだろうし自己満足でいいからなるべく書いておきたい。写真もはやくプリントしなくては。膨大になってしまうけど、ストーリーズくらいの些細な日常ってたまに見返すとやっぱいい。ちょろりと書いた一文も含めて。日記にシールみたいにはれたらいいのにな。選択した写真を紙にかざすとそこにプリントされるみたいな機能があったらいいのに。

Twitterもどうなるんだろうね。なくなったら違うSNSはじめるのかな、インスタあるしそのままインスタだけ続けていくのかな。来年の3月でTwitterはじめて13年になる私です。こえ〜。

 

写真は覚える気もないし見返すことない容量を圧迫するだけの離乳食スクリーンショット

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コーヒー/冷え性/ポケット/ラジオと鱈と野菜の黒酢餡

美味しいコーヒーが淹れられるようになりたいな、ってうっすら思ってはちゃんと淹れ方を調べることはせず雰囲気で淹れている。引っ越し祝いでもらったバルミューダのケトルを使うと美味しく淹れられてる気分になる。ただ、あの細っこい部分が衛生的にどうなんだろう、と気になりながらのむ。朝美味しいコーヒーのにおいで起きる生活がしたいな。

 

夏の間激アツだったリビングは日が短くなり午後には冷え冷えとするようになった。娘の手足がキンキンになっているところに遺伝を感じる。体温調整のために靴下は履かせない方がいいというが流石にこれは可哀想な冷たさになるのでたまに履かせる。

 

ポケットの大きなコートが好き。なるべく手にいろいろ持ちたくない。夜な夜なライブに行くために、産前、通勤にも遊びに行くのにも使っていたちっこいミッキーのショルダーバッグを取り出す。お財布とケータイと鍵くらいしか入らないバッグにレサコ(人工呼吸用のマウスシート)がついてて我ながら笑う。8キロ弱の娘をかかえ、おむつ着替えおしりふきおもちゃ下に敷く布などを標準装備で外出するのが当たり前になっていた今、手ぶらで外出しているというのは結構なソワソワ感だった。ライブ中、電車に乗る前に食べてたわさびめしをポケットに放り込んだのを思い出す。潰れていなくてよかった。

 

テレビが字幕がないと集中して見られなくなったのに何故かラジオは聞ける。中華ってひたすら切って揚げて餡で絡めてってのがやりはじめたらすぐなのに微妙にめんどくさくてやらなかったが、最近はラストの全部合わせてがっしゃーん!あじこーい!うまーい!なのが快感でありちょこちょこやる。何事も形から入るタイプの夫が100均で銀色のバッドを3枚買ったので、本人は飽きて最近使ってないが私は使うようになった。切ってはバッドにざっざか入れていくと思いの外すっきり作業が出来て、私はワークトップがごちゃごちゃ埋まっていくのがストレスだったんだなと気づいた。星野源は友達じゃねえぞというけど、仲良い友達のやりとりを作業しながら聞かせてもらってる感じがここちよい。料理、最近の楽しみはラジオとすべてを粉砕するブレンダー&チョッパー、離乳食の余りを使ったポタージュとつまみぐい。

 

5つ溜まったら公開しようと思ってたけどタイトルがながーくなっちゃったから4つでおしまい。これが最近の日常です。写真は祭りだ!!なでけえ鱈。

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