ねむけにたえる

連続的でシンクロニシティな日常。

春と眠気と

眠気に耐えられず休憩時間すら睡眠に費やしている。買った本を読むとかCDを聴くみたいなことが出来ずに一日が終わり気がつくと一週間が過ぎる。

 

昔からこんなのおかしくない?の気持ちを持って生きてきたけど、人に嫌われるのも怖いし面倒くさいと思われるのも悲しいのであまり外には出してこなかった。大人になったらその辺いい感じに話し合って解決する術が身につくのかなと思っていた。そしたら大人は大人でYESマンか見て見ぬ振りの人ばかりでますますこんなのおかしくない?が増えていった。

最近はそれを言うようにしているんだけど、案の定それを困ったような顔をして聞いてくれる優しい人や、優しそうにみえてあまり考えてないor面倒に巻き込まないでくれよと思ってそうな人がたくさんいて景色が歪む。私はこの環境について話してるのにこの目の前にいる人たちは誰なんだ?その当事者意識の無さはなんなんだ?でも自分も元々そっち側の人間だったし、現時点では提起しても実現に持ってけてるわけではないからただの口だけの人になってるのでこういう人間が1番厄介に思うよねというのもわかる。職場ではまだオブラートに出来るから良いけど、実家の母に対してはそれが出来なくて、病気の人だなあと思うけどガンガン言い返してしまう。この人は一生子供は自分のモノだと思っていくんだろうか。いつか話し合って分かり合えるのだろうか。人が人と分かり合える瞬間なんてくるのか?

言わなくても分かる は素敵だけど、それだけじゃやってけないし、大切にしたい人がどんなこと考えてるかどうしたいのか言葉で聞けないのは悲しいことだとも思う。時間が解決してくれることはあるけど、おいてけぼりにされたものはそのままズキズキと痛む。人を変えようなんて野暮なこと考えてないよ、どうしたいのか何がそんなに苦しいのか、お互いを尊重したやり方はどんなやり方なのか、話がしたいだけだよ。私と激昂する母の間に入ってくれた姉と弟、困ったように笑ってはほわほわした言葉を使ってて申し訳なかったなあ。

 

こんなことばかりを毎日めちゃくちゃ考えてはめちゃくちゃ疲れるので懇々と寝続ける。今日から3年間目覚めちゃダメだよベイベーなんて、誰か言ってくれないかな。休みをくれ。限界だ。