春と修羅
先日、共感性羞恥が話題になりましたが、私はそれとは違うけど自分に向けられた言葉でも他人に向けられた言葉でも死ねとか殺すとかブスとかデブとかの罵倒の言葉が苦手で 書いててつらいし見るのもかなりつらいのでSNS最初から向いてないんですけど 笑
共感性羞恥はその場面を見ると自分も羞恥を覚えるということでしたが、私の場合は自分も言われてる気分になるのと同時に どうしてそんな重い言葉を易々と言えてしまうのだろうという疑問みたいな。自分自身で発した言葉や感情に対してもつらくなる。
この前ニコニコ運営の声明(去年のもの)がTLに流れてきて
http://blog.nicovideo.jp/niconews/ni056194.html
これなんですけど。
そう結局『みんな空気読め』なんですよね。
で、こいつ空気読めてないなって思ったら周りの大人は教えてあげよう。ネタってなんだよ、言葉は言葉だよ。
いじわるされたらどんな気持ちかな?(AC)
こんなの小学生が道徳で習うことじゃないですかー。
高校生のガキじゃないんだよ、SNSやってる時点で責任を持って発言しなきゃいけない人間なんだよ。世の中には私なんてのと比べ物にならないくらい黒々とした気持ちが渦巻いている人がたくさんいるんだから君の顔も君の学校も本名も飲酒歴も親も住んでる所も元カレもぜーんぶ その小さな炎上で晒されてネットの海に漂って回収できなくなるんだよー。その発端が一回の人を罵倒した発言だったとしたらアホらしすぎませんか?
私自身感情ぶちまけの自己顕示欲もりもりでメディアリテラシーも個人情報も充分に配慮した行動ができていないので気をつけなければならないと思っているのですが、もやもやしすぎたので。
好きになれないものを見つけたらわざわざ嫌わなくていいって藤原基央さんも言っていたので。そういうことですね。
そっと離れられずこういうの書いてるわけですけど笑
ちなみにタイトルの春と修羅は
『あいつをどうやって殺してやろうか
2009年春、土砂降りの夜に
そんなことばかり考えてた』
という歌詞があって最初は苦手だったのですが、最近はストンと落ちまして聴けるようになりました。
殺したいという感情にはなったことがないですが、私の前から消えてくれ とか あわよくば幸せにならないでくれと思うことはあるので 歌はちょっと大袈裟な方が共感できるということですかね。共感はしてないけど、うん。
相変わらず圧のある支離滅裂な文ですみません。