ねむけにたえる

連続的でシンクロニシティな日常。

はきだめ

あざとい人が好きだ。
天然じゃなくて本物じゃなくて、意識的に策略的にやってのける人が好きだ。
それはプロ意識とかそういうものだけじゃなくて、例えばクラスの女の子のあざとさとかイラっとした時点でその子に魅せられてるわけで、たまんねーなってなる。

(↑下書きに保存されてたけど結局何が言いたいかわからなくなった文です。消すのもあれなのでそのまま)
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ライブ中、女の子が叫ぶと出たよ、みたいな空気になる。私もそう感じる。
女の 藤くーん!は出たよ、で、
男の 秀夫ー!は笑いになる。
声の甲高さかアイドル視してるように感じられるからか空気の読めなさか。
多分どれもそうで、自分はそう思う側だしできる限り喋らないでくれとも思ってしまうけどそれもなんだかなと。これは男性女性関係ないと思いたいんだけどなあ。

歌っちゃう人に関しては近くでうるさくなければ全然構わないかな、私もいつも口パクしてる。
思い入れがある曲ほど像が出来上がっているから歌われたり手拍子が入ったりするとイラッときたりする。こころの中に土足で踏み込まれた気分。

ライブに来てる人は皆そのバンドが好きできているわけだけど楽しみ方はそれぞれ違うし、彼氏ときて抱きついてるカップルも、1人でタバコ吸いながらすましてる音楽通っぽいお兄さんらも、最前列でうっとりボーカルを眺める女の子も、音楽と合ってるのかもよくわからない動きで踊り狂う人たちも、集合写真Twitterで拡散するような人たちもそれぞれの形でライブを楽しんでいる。もっといろいろ受容できればいいんだけど。
いっぺんどんな曲でも手をあげる文化みたいなのをとっぱらって自分の好きなノリ方を見つけられたらいいよね。
andymori nightでは皆好き勝手歌ってるし曲の感想とか言い合うしゴールデンハンマーとかよくわかんない振り付きだったし笑 1人部屋の中でもandymoriの実際のライブでもない楽しみ方があったと思う。楽しかった。

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人を好きになる、嫌いになるの基準はどこなんだろう。最近前より好きな人も嫌いな人も増えたと思う。他人への関心が強くなったってことかしらね。関心を寄せないことでの防衛をやめるようになったのかなあと思いたい。

無関心でいることは楽だ。好きも嫌いもエネルギーがいる。高校生のはじめの頃クラス全体で無視みたいなのがあって、次第に無くなりはしたけど3年間ほとんど同じメンバーだったから遊びに行っても話しててもやっぱりなかなか信用とかはできなかったし言葉の裏を考えてしまうしで卒業後たまに会ってもその後自分の中でぐるぐるぐるぐるする。
卒業後も会う人達はその時関わってた人達じゃないからその時私に関心がなかったってだけなんだろうけどさ。あれはいじめじゃなかったんでしょ。了解です。
高校時代の話とかはじまるとやっぱりちょっと黙っちゃう。1年生のときの話はちょっとむずかしい。
こんなだからいつまでも青春コンプレックスだよ。

今の学校に入って りりちゃんのこと嫌いな人とかほんといないと思うよ みたいに言ってもらうことがわりとあるんだけど、いやいやいやみたいな。前触れもなく言われるからそんなに自信無さそうに見えるのかとか、なんでそんなこといきなり言うの、え、むしろ私のこと好き嫌いとか話題に出てるのとかザワザワします。
褒められたり好きだと言われたときに素直にありがとうと言えないのはなんて失礼なんだと思いながらもやっぱり思ってしまうなあ。

そうじゃないんだろうに馬鹿にされてると感じてしまう。女子特有の(笑)と馬鹿にしてしまう。

心底ひねくれてる部分を曝け出すと困るのは自分なのに出したくなるのはなんなんですかね。わかってくれるなとも思うんですけどね。ぬん。
共感は多分同じ境遇の人じゃなくて自分よりちょっとひどい境遇の人に求めてるんじゃないの、と思って悲しくなったよ。

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このブログは一個前の記事から度々書いては下書き保存して追加されてるので°毎に書いてる日が違います。メモみたいなもんだし、ほとんどは小学生並みの感想です。Twitter(ロング)みたいなもんです。すみません。