来世はアイドル
昨年のミスidのキャッチコピーは
『わたしはこの星で生き残る。』
で、その後にはこんな文章が続いていました。(一部抜粋)
「アイドルってなんだろう。
たとえば、いつも同じ電車で本を読んでるあの子。
たとえば、朝、駅のカフェでコーヒーを淹れてくれるあの子。
たとえば、ネットのなかで毎晩戦っている知らないあの子。
たとえば、転んでも転んでも立ち上がるフィギュアスケートのあの子。
歌って踊れなくてもいい。
誰かの明日を元気にできれば、
それはもう誰かのアイドル。」
ここから先でいうところの「アイドル」は、歌って踊ってかわいい衣装を着たり かっこよく煌びやかな「アイドル」ではなく、私にとっての「アイドル」の話です。どちらかというと本来の偶像崇拝的なことです。
3月末日、1年ちょっとぶりにお付き合いしていた人と会いました。
この時点で私の中で彼に対する恋愛感情は本当に無いのですが、別れてからも彼のことはずっと気になるし まあ顔は拝みたいし(もうこういう感覚)長ったらしくめんどくさい話も聞きたくてしょうがないのです。んで、どうせ会えるならちょっとでも可愛くしていきたいし可愛いと思われたいわけです。
人に話すと まだひきずってるんだね...とかまだ好きなんだね...とか言われてしまうし、自分でもそういうことなのか?と思っていましたが、先日会ってこれはもしやと思ったのでこのブログを書いています。
久しぶりに会った彼は髪が当時よりも短くなっていて話は相変わらずまどろっこしくて、正直タイプ度が上がっていてたまりませんでした。
そんな彼の話の中に偶像崇拝についてがあって、好きな人と自分の中での好きな人は違う とか その像が崩れることへの恐怖とか。
彼には私と付き合う前から出会う前から女神的に好きな女の子がいてそれはもう変わらなくて 私もそれを承知で付き合ってたんですけど、今でもその感情は変わってないと聞いて私はすごく嬉しかったんですよ。
私にとっての像が崩れてなかったから。
彼は彼で、その女の子は既に偶像として出来上がってしまっていてその像が崩れるのが怖いと。
変わってなくて嬉しいと伝えたら そういうクレイジーさが惹かれあったところなんだと思う と言われました。(クレイジーな自覚あるんだな)
普段の自分は固定観念で人を捉えるのは好きじゃないし失礼だし、なるべくそうならないようにしているけど 彼だけはそういう意味で特別なのかもしれません。そういう意味で私にとってアイドルみたいな人なんです。
なんかそう思うと色々としっくりきて、まず見た目が好きだし思想が好きだし苦しんでるところが好きだし アイドルなんだとしたらそりゃ可愛いと思われたいしこっちに注目してほしくなりますよね。
で、彼の中にも偶像の私がいてそれが崩れるのを恐れてらっしゃるんですよ。なんだ私アイドルだったのかと。
1200字を超えたこのブログを読んでる皆さんがはあ?って顔しているのはわかっています。でも先にお伝えした通りこれは私にとっての「アイドル」の話です。
酔っ払った私の電話での対応を、自分の中でアイドル的な人が うまいなと思った とか言ってくれるんですよ。私にとってあざといは褒め言葉なんですけど、是即ちそういうことなんですよ。
そして、恋愛でないからこそ理想をお互いに押し付けあえる。はたから見たら私ただの超怖い女なんですけど、でもそういうことなんです。
あーりんがあーりんで居てくれること、みたいな。それはかなりの過大評価だけど。
さて、長くなりましたね。21にもなってこんな独特の感情だけ育って。恋愛もしたいね。好きで溢れがちだけど、最近はそのエネルギーも仕事にもっていかれてたりするよ。来世はピンクキラキラ歌うアイドルになりたいな。おやすみなさい。
ポップな女になりたい
カネコアヤノ、阿佐ヶ谷zamzaでのライブCDをポップなおんなが聴きたくて買った。
YUKIとかオザケンとか靖子ちゃんとか欲しいCDはたくさんあるけどキリがないので後回しにしがち。未だにbumpのライブDVDも買ってないです〜。
ゲイリーがいつでも行けると思うなよ会えると思うなよ的なことを言っててそうだよなと思うけどむんむん。
社会人になって1週間が経ちました。自覚がなくて去年から働いてる友人と昨日会って猛烈に反省しました。自己研鑽ね、しなきゃね。
肯定的な気持ちや感謝はなるべく素直に伝えようと思っている人間だけれど、それが原因で最近身近な人たちの関係が崩れた。そこ恋愛と直結しなきゃいけないのかしら?すぐに思わせぶり、になってしまうのかしら?軽い、になってしまうのかしら?
好きは簡単に言っちゃいけないのに嫌いは共有しようだなんてそんなの悲しいよ〜
明日からもふらりとがんばります。
そっちはどうだうまくやってるか
瞬間日記ってアプリから高校生の時の日記が出てきてアプリを消したいけど内容は残したいからこちらに。大体変わってないな。
と思いましたが載せるには量が膨大だったのでやめておきます。
高3の時に猫を拾ってそこからつけてたものでした。5日間しかいなかったけど。動物苦手で触るのもあんまり得意じゃないんだけど、よく連れて帰ろうと思ったよなあ。
いや、パソコンのデータすぐ飛ぶからな。とりあえず小出しに載せていこうかな。猫がやってきてからいなくなるまで。
オチのない僕の話も ねえ最後まできいてよ
やあ⌒°⌒
3月も2/3が過ぎようとしております。
こわいようこわいよう。
基本的にちゃらんぽらんの脳内お花畑して生きているつもりですが、苦手なことやひっかかることがたくさんあって 先週の今頃は言葉や空気や光、表情やにおいから春を感じてうきうきるんるんだったのに まあその分の反動もあるんですけど ぺちゃんこになってしまって2日間くらい身動きがとれませんでした。
貴重な休みが〜( ತಎತ)
私は『みえないちから』を肯定的に信じていたいなあと思っていて、その中でも言葉や表情は自分たちで作り出せるものじゃないですか。
だから、好きな人と話してる時はできるだけ優しい言葉を使ったり柔らかい表情でいたいし、ましてや3年間を締めくくる卒業旅行で今更学校の嫌いな人や苦手な人の悪口なんて聞きたくないのです。
3年間の学校生活は今までの学生生活に比べたらのびのびとふらふらと色んな人とグループじゃなくて個人の繋がりができて自分的には満足していたんですけど、卒業旅行となるとやっぱりグループで行くもので。
皆好きだし一緒に旅行行けて嬉しかったけど 旅先でも学校の子の悪口とか就職してからのマイナスなこととか国試絶対受かっているような点数なのに落ちてるとか それを言ってる時の顔もなんか井戸端会議してる時のおばさんみたいで眉間に皺寄せて嘲笑って あぁ、これから先も もうずっとこうなんだろうなあって。
トゲトゲした言葉は誰についてでも人に向かって放ったらその人に突き刺さるじゃないですか。そしたらもうお互いハリネズミですよ、ハリネズミ。
でもそれ跳ね返しても相手にまた刺さるからやりたくないし モヤモヤ考えてると自分がこの子たちのどこが好きだったのかとかもわからなくなってきちゃって。
多分個々では仲良くても全員共通の話題がないようなグループだったからかもしれないけど、そうだとしても人の悪口が共通の話題なんて最悪じゃんね。
気にしなきゃいいことが気になってダメージをモロにくらってしまうのそろそろやめたい。
大切にしていることは人それぞれ違うからしょうがない。多分彼女たちの使う死ねやウザいや消えてほしいは私のそれらよりも1/100くらいの軽さなんだろう。しょうがない。
その分自分は丁寧に言葉を使えるようになればいいし、丁寧な言葉に触れたらまた嬉しくなれる。
ちなみに思うのは自由だと思っていますよ、私だってこんにゃろ〜と思うことはたくさんあるしそれをないがしろにはしたくないので。それを人に伝えるかどうか、伝え方はこれでいいのかを考えられる人になりたいなあと思います。言葉にするのは可視化させることだから思っているだけなら消えちゃうことも言葉にすると良くも悪くも見えてしまいます。
ブログを書くのは思考の整理でもあるし、忘れたくないからってのもあるよね。本当は先週のうきうきるんるんな時に後者のつもりで書きたかったんですけどこんなになっちゃいました。
あとご飯残す人がやっぱり苦手。バイキングだったんだぞ、自分の腹具合くらい自分で調整してくれ。はらぐあいぱらぐあい🇵🇾
あと2日で学生生活が終わります
こんばんは。いかがお過ごしですか?
最高に眠いのに謎に書き始めてしまいました。
ねむけにたえる がこのブログのタイトルです。
あと2日で学生生活が終わります。
4月からは社会人になります。同い年で大学に通っている子たちは就職活動がはじまっていて、忙しなさや焦りは多分私たち入学と同時に決められたレール組とはまた異なるので ひっそり応援しています。決まったら遊んでね。
高校は頭のいい学校ではなかったので大学に進学する子より専門学校とか短大とかの子が多くて、仲良い子は去年からすでに2人 今年私とあと2人国家試験を終えて 皆社会人になります。今年大学を受験している子もいます。
この前なかいえちゃんに会いに大阪に行って、彼女は何回も 去年は本当になにもなかった って言ってて 私はそれがどういう意味なのかわからなくて まあでも話してるうちに言わんとしていることは なんとなくわかってきて そこから働くってなんだろうとか生きがいってなんだろうとか得意なことってやりたいことって雇われるって人の役に立つ仕事って給料って看護師って
っとまあ いつも通りぐるぐるがはじまって未だにとまりません。
ちょーぜつねむいのでねますおやすみなさい、
要するに
要するな。謎に丸く収めようとするやつはなんなんだ。
先日久しぶりに小説を読んだ。文章を読むのは好きだけどいかんせん集中力が続かなかったり、終わりが見えてしまうのが嫌で最後まで読めないことが多い。活字中毒には程遠い。
今回読んだのは西加奈子の『舞台』だ。姉に誰の読んでるの?と聞かれて西加奈子、と答えたら あぁ西加奈子ね 笑 と言われた。 笑。笑?
小説を日常的に読む人からすると西加奈子は笑なんですか?(でも私だってEXILEを好んで聞いている人を「EXILEを好きな人たち」としてみている、無意味なカテゴライズをしてしまっている。)
数年前にブランチで紹介されててなんだかとても読みたくなってその日のうちに買いに行ったのに一度も読まず、数年が経っていた。
語彙力はないけど日本語の多様な表現は好きで文字がずらりと並んでるのは気持ちよかった。主人公の男がなかなかにめんどくさい人で同じことをぐだぐだ考えているのがよかった。
混沌は混沌のままでいい。「要するに」はナンセンスだ。といいながら自分で書いたなかなかにめんどくさい人というまとめ方は雑すぎるし的を得ているわけでもない。語彙力の無さだ。悲しい。
拡大解釈を見せられるのが嫌いなわりに自分ではしてしまうので身近な人や自分が考えていることを置き換えた。この前の切れ端をメモ帳にそのままにしていたのがよかった。
山田孝之のカンヌで素人と芝居をしたことがあるかと尋ねられた芦田愛菜に対して 山田は
「大丈夫です。みんな常にしているから お芝居は。」と言っていた。
私のメモには自分の条件反射で泣けるところが嫌いと書いてあった。(ポエミィ!)
西加奈子 舞台では 「俺はいつだって演じている。何かを。」という一節があって、 そのあたりから脳内再生はBUMP OF CHICKENで透明飛行船。
「多分 平気なふりは人生で わりと重要なスキルだと思う
多岐にわたり効果示すので 使用頻度もそれなり
人の多くはその熟練者で大概の焦燥は隠せるが
人の多くがその熟練者だ大概はばれていたりもするが」
偶然なのかなんなのか その時考えていることに取り巻く環境がひっついてくることが多々ある。シンクロニシティ。
こういうことが多いと世界は自分中心に回ってるって再認識しますね!ワールドイズマイン!
英語言いたいだけだろって思ってるでしょ。
新しく知った言葉とか考えていることが他人の会話とかテレビの話題とかでも特によく聞こえてくるのはカクテルパーティ効果と言うそうですよ。(心理学の授業で違う表現で習ったんだけどなんて言うんだったか思い出せない)
「要するに」も 「日常的なお芝居」も「無意味なカテゴライズ」もなんであたりまえに行われているのかというと多分そっちの方が都合がいいからなんだと思う。わからないものは怖い。いろんなふりを お芝居を しながら生きていて、気がついたら熟練者になってしまったから ナンセンスだといいながらお芝居をしてしまうし、それが自分でもわかって恥ずかしくなる。きっと周りにもばれている。
こいつとは分かり合えねぇと思ってもワールドイズマインだから多分そいつも私の一部だ。おそろし。
そうすると「要するに」しようとしてたのも自分だから「要するに」の何が悪いんだかわからなくなってくる。ずーっとこうやってぐるぐるしてるのが好きだ。たまにこういうことを人を巻き込んでやりたくなるけど、丸く収めようとされるので自分1人でやってる方がいい。
月曜から夜ふかしです。
ぺんぐいんぐ。
おなかがいたいマクドナルド
いい加減勉強しなければという気持ちと、多分今やっても受かるという気持ちが交差して そこにお腹痛い気持ちが充満して なにもできないでござる
↑と書いたのが2月の前半。ブログ書きたいなあと思った時にはもう国試直前で今やっちゃいけないよなあと思ってその時思ってたことの切れ端を下書きに貼り付けていたんだけど今見てもなんのことだかよくわからない!
ポエミィで恥ずかしいからやっぱりその時の勢いが大切だね はーと!
というわけで無事に国家試験を終えました。応援していただいていた皆々様ありがとうございます。本番は緊張もしたし、しょっぱな嫌な出し方してきて意地悪な問題が多かったけど多分大丈夫そうです。
このブログはどのSNSよりも自分優先なので下書きの切れ端はちょこちょこ消化していきたいと思います。
そうそう、何個か前のモバゲーのブログを書いてから自分の中で過去の自分を肯定する運動みたいなのがちょっとあって。
自己顕示欲や承認欲求が強いし こういうことしたら面白いんじゃないかっていうのは出てくるのに実際には行動に移せなかったり、私はそういうのを受け取る側にはなれるけど発信する側にはなれないとやさぐれてもいました。(その分発信できる人のこと超尊敬してる)
刺繍は高校生の時ちょろーっとやってて でもずっとは続かなくて。
デジハリも中学生の時にお年玉はたいて買ったのに電池切れちゃってから全然つかってなくて。
頑張れなかったり続けられなかったことがたくさんあって その一つ一つに押し潰されそうになっているんですけど(中学はバレー部やめたし高校受験失敗したし高校で入った軽音部もおちゃらけて終わった)
救ってくれたのは古着屋で買った700円のフリースでした。胸元のしろくまと袖の赤い星とベロアのチャック。
ネイルもだけど、誰かの真似とかじゃなくて自分の頭の中にある「こういうのが欲しい!」が自分で実現できたのは久しぶりでした。
高校生の時の写真を見返すと私すごい枚数空の写真撮ってて、でも最近は本当撮らなくてなんでだろうなあと思ってたんですけど デジハリも持ち歩くようになったら空を見上げたくなるし道端に落ちてる物や咲いてる花に意識がぐんと向くようになって なんだか全部が愛おしく感じられました。
今思えば両方とも国試前の逃げっちゃ逃げなんだけど、頑張れなかった・続けられなかったの呪いは自分をがっちがちにしていたのでいい息抜きになったなあと思っています。よかったね。
看護学校に入っても高校受験の失敗とか友人関係うまくいかなかったとかは小さな失敗がある度に走馬灯のように襲ってきてやっぱり私はダメだ ってなっちゃってたので国試受かる(ってそうな)のは3年間だけじゃなくて21年間を自己肯定できることになるなあ。
合格通知が来るのは3/27なのでまだまだ先なんですけど、きたら自分のためにもめちゃくちゃ喜ぼう。